別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2022年4月29日金曜日

源義経が過ごした鞍馬寺


鞍馬寺


源義経は1159年(平治元年)、河内源氏の棟梁・源義朝の九男として誕生しました。

母は常盤御前

幼名は牛若。

生まれた年に起こった平治の乱で父義朝が敗れたことにより、11歳のときに鞍馬寺に預けられました(7歳のときとも。)。

稚児名は遮那王。


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牛若丸に兵法を授けたといわれる武芸の達人・鬼一法眼を祀っています。


川上地蔵尊

牛若丸の守り本尊といわれる地蔵尊が祀られています。



牛若丸が住んでいたという東光坊の跡に建てられた供養塔。

牛若丸は、ここから毎夜、修行のため奥の院まで通っていたそうです。



奥の院へ向かう途中の牛若丸が、喉の渇きを潤したという泉。



奥州平泉へ下ることとなった牛若丸が、名残を惜しんで背を比べた石といわれています。



僧正が谷は、牛若丸と鞍馬天狗が出会った場所といいます。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

牛若丸が鞍馬寺を出たのは1174年(承安4年)のこと。

鏡の宿で自ら元服して義経を名乗り、奥州平泉藤原秀衡のもとへ向かいました。

1180年(治承4年)に異母兄の源頼朝が挙兵すると、奥州を後にして、頼朝のもとに馳せ参じます。

木曽義仲追討一ノ谷の戦い屋島の戦い壇ノ浦の戦いで活躍しますが、平家を滅亡させた後、頼朝と対立。

逃亡生活を続けた末、再び奥州平泉の秀衡を頼りました。

しかし、秀衡死後の1189年(文治5年)閏4月30日、秀衡の子泰衡に急襲され、衣川館で自刃(享年31)。



奥州平泉衣川館で最期を遂げた源義経の魂は、鞍馬に帰ってきたと信じられています。

そして、遮那王尊として祀られています。


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