別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2017年8月29日火曜日

源頼義創建の八幡宮

鶴嶺八幡宮
(茅ヶ崎市)

鶴嶺八幡宮は、1030年(長元3年)、平忠常の乱を鎮圧する際に源頼義懐島八幡宮を創建したことに始まるのだと伝えられています。


懐島八幡宮
(茅ヶ崎市・本社宮)

懐島八幡宮は、懐島郷矢畑村に京都の石清水八幡宮を勧請して創建されたのだといいます。

その後の1089年(寛治3年)、頼義の子義家が隣郷の浜之郷に社領を寄進し、鶴嶺八幡宮を創建。

以後、懐島八幡宮は本社宮と称されたのだといいます。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

~平忠常の乱~

平忠常の乱は1028年(長元元年)に房総半島で起こった反乱。

1031年(長元4年)に源頼信が鎮圧しました。

頼信は河内源氏の祖で頼義の父。

頼義も平忠常討伐に従っていますが・・・

❔❔❔

懐島八幡宮の創建は1030年(長元3年)。

平忠常の乱の鎮圧に向かう途中で、頼義が石清水八幡宮を勧請したのだといわれていますが、頼信・頼義が出陣したのは1031年(長元4年)。

そして鎮圧軍の大将は頼信・・・。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

~懐島八幡宮は由比若宮の旧社?~

由比若宮
(鎌倉市)

由比若宮(元八幡)は、鶴岡八幡宮の前身となる社。

『吾妻鏡』によれば、1063年(康平6年)に源頼義石清水八幡宮を勧請して創建したのだといいます。

ただ・・・

懐島八幡宮は由比若宮の旧社であることから、由比若宮が創建されてからは本社八幡宮と呼ばれていたのだとか・・・

懐島八幡宮(本社宮)に建てられている由緒には、頼義は前九年の役を平定後に「鎌倉に勧請して鶴岡八幡宮を創建」ということが記されています。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

~壺井八幡宮より古いのか鶴岡八幡宮?~

壺井八幡宮
(羽曳野市)

壺井八幡宮は、河内源氏発祥の地に建てられた社。

前九年の役に勝利した源頼義が、1064年(康平7年)5月15日に社殿を造営し、石清水八幡宮を勧請したことに始まるのだといいます。

前九年の役は、1051年(永承6年)から1062年(康平5年)の間に起こった陸奥国での戦乱。

頼義は1063年(康平6年)2月、京都に凱旋しているようです。

❔❔❔

鎌倉の鶴岡八幡宮(由比若宮)も前九年の役の勝利に感謝して創建されたのだと伝えられていますが・・・。

『吾妻鏡』には1063年(康平6年)8月創建と記録されているようです。

河内源氏の本拠地にある壺井八幡宮より早い創建ということになります。

頼義は平忠常の乱後(1031年(長元4年)以降)、平直方から鎌倉の大蔵邸や所領を寄進されているので、壺井八幡宮より早い創建というのもあり得るのかもしれませんなぁ~・・・。


鶴岡八幡宮

現在の鶴岡八幡宮は、1180年(治承4年)10月12日、源頼朝が由比郷の由比若宮を小林郷に遷座したことに始まります。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

~源氏の氏神~

石清水八幡宮

石清水八幡宮は平安京の裏鬼門を守護する社。

源氏の氏神でもありました。

源義家は石清水八幡宮で元服したことから「八幡太郎」と呼ばれました。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

源頼朝をめぐる茅ヶ崎

歴史めぐり源頼朝



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