別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2013年4月8日月曜日

忍性の十の大願・・・鎌倉:極楽寺

北条長時に招かれ、極楽寺の開山となった忍性は、慈善救済事業に努め、幕府にも重用され声望を得ていました。

そんな忍性がたてたのが10種の大願。



三宝(さんぽう:仏・法・僧)を紹隆すること。

勤行・談義などを怠らないこと。

三衣一鉢(さんねいっぱつ:三種の衣と一つの鉢(食器))を持ち遊行にのぞむこと。

病気でない限り輿や馬に乗らないこと。

特定の檀那の保護を受けないこと。

孤独・貧窮・乞食人・病者・盲人等や牛馬の路頭に捨てられたものに憐れみをかけること。

道を造り橋をわたし井を掘り薬草・樹木などを植えること。

自分を怨み謗る者へも善友の思いをなすこと。

点心(間食)・調理に手間をかけた食物を断つこと。

10 願行功徳は一身にとどめず十方界の衆生に施与すること。



忍性はこの大願のとおりの活動をしています。

極楽寺の境内には、施薬悲田院、病宿、療病院などの救済施設が設置されていたといいます。


主な事業を挙げてみますと・・・

1274年(文永11年)、飢饉で苦しむ難民を大仏ヶ谷に集め粥を施しました。

1284年(弘安7年)、永福寺明王院高徳院の別当となって寺院の修営を手掛けています。
(※忍性が手掛けた伽藍修営は、全国で83ヶ所にのぼったといわれています。)

1287年(弘安10年)、長谷寺高徳院の中間辺りに桑ヶ谷療養所を開設し、多くの者の治療を行いました。

1298年(永仁6年)、坂ノ下に馬病舎を設置しました。


忍性は、土木事業にも力を注ぎ、一生の間に行った架橋は189ヶ所、道路修築は71ヶ所、井戸掘りは33ヶ所、浴室・療養所・乞食屋の設置は各々5ヶ所といわれています。


鎌倉七口の一つ極楽寺切通忍性が開いたといわれています。



 鎌倉手帳



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