別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2011年1月27日木曜日

二の鳥居・三の鳥居と歴史遺産の段葛

鶴岡八幡宮から南へ一直線に延びる若宮大路。その中心に一段高く土が盛られた道があります。これが、日本に唯一残された遺構の「段葛」です。

かつては、由比ヶ浜(一の鳥居)まで続いていたといわれていますが、現在は二の鳥居から三の鳥居までの約500メートルが残されています。


二の鳥居前の「鶴岡八幡宮の碑」
日露戦争の英雄、東郷平八郎の筆によるものです。


二の鳥居と狛犬

二の鳥居手前には、昭和36年に奉納された白色セメント造の狛犬が置かれています。

かなり大きな狛犬です。

日本一の大きさという宣伝もされているようですが・・・???疑問です。

二の鳥居は、1668年(寛文8年)、徳川四代将軍家綱によって寄進された石造の鳥居でしたが、関東大震災によって倒壊したため、現在は鉄筋コンクリート造です。


神幸祭の御旅所

二の鳥居は、9月の神幸祭の御旅所です(参考:鶴岡八幡宮例大祭)。

応神天皇・比売神・神功皇后の三基の神輿が二の鳥居の下に安置され、神事の後、「八乙女の舞」が奉仕されます。

神幸祭:http://okadosblog.blogspot.com/2010/11/blog-post_06.html


段葛の碑

二の鳥居から鶴岡八幡宮までの若宮大路は、中央の一段高い段葛と両脇の車道の三つに分けられています。

段葛(だんかずら)の意味については多説あって定説というものがありません。

「置道」とか「置石道」などと呼ばれることもあるようで、古くには鶴岡八幡宮への「千度詣りの道」という意味から、「千度壇」とか「千度小路」とも呼ばれていたそうです。


安産祈願の道

1182年(寿永元年)、源頼朝は、妻政子の安産祈願のために鶴岡八幡宮の参道を整備します。

その参道というのが「段葛」だといわれています。

それは「若宮大路じゃないのか・・・?」というような疑問もあるかと思います。

若宮大路とは?」あるいは「若宮大路段葛の違いは?」という疑問も・・・

いろいろと調べてみたのですが、

どうやら「若宮大路段葛に特別の区別はされていない」ようです。
(どうもはっきりとしない調査結果ですが・・・。)

「鳥と卵のどちらが先か?」ではありませんが、「若宮大路段葛のどちらが先か?」ということにも繋がってきそうな話ですが・・・

若宮大路という大路の中央に段葛という特別の道が造られたということなのでしょうか。



かつて、この段葛若宮大路と同じく一の鳥居まで続いていたといいます。
段葛若宮大路の区別がないとするなら、当然にそういうことになります。

しかし、下の下馬橋(現在の下馬四ツ角)から先にあったのかどうかの確証はないようです。


鶴岡八幡宮境内絵図

1732年(享保17年)当時の鶴岡八幡宮の様子です。

この絵図に若宮大路も描かれていますが、段葛下の下馬橋で終わっています。

昔の下の下馬付近
(横浜開港資料館蔵)

現在の下馬四ツ角付近です。前方が海岸(由比ヶ浜)、右が長谷寺方面。

この写真によって「下の下馬までは確実に段葛があった」ということがいえます。

参考:下馬
https://www.yoritomo-japan.com/page043geba.htm
参考:長谷小路の散策
http://okadosblog.blogspot.com/2010/11/blog-post_9479.html


JR横須賀線の開通と段葛

明治21年、横須賀線の工事が始まったことによって、二の鳥居から南の段葛が壊されてしまいます。

写真でお分かりのとおり、横須賀線の線路はかなり高い位置に敷設されました。

そのため、若宮大路も横須賀線の線路を頂上とする坂道にしなければなりませんでした。そして、段葛は壊されました。

現在は、その坂道もなくなりガードとなっていますが・・・。


~現在の段葛は「サクラ」と「ツツジ」の名所ですが・・・~

昔の段葛には、木は植えられていなかったようです。

段葛に木が植えられるようになったのは明治に入ってからで、当初植えられたのは松と梅だったそうです。

サクラ
現在は、「花のトンネル」といわれるほどの桜並木ですが、
段葛にサクラが植えられたのは大正7年(1918年)のことでした。







ツツジ
その後ツツジも植えられ、サクラとともに鎌倉の花の名所となりました。

秋のヒガンバナもきれいです。
https://www.yoritomo-japan.com/hana-kesiki/higanbana.htm

~明治期の段葛~




三の鳥居

段葛はここで終わります。

この三の鳥居も二の鳥居と同じく、1668年(寛文8年)、徳川四代将軍家綱によって寄進された石造の鳥居でしたが、関東大震災によって倒壊したため、現在は鉄筋コンクリート造です。


関東大震災で倒壊した三の鳥居です。

若宮大路一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居は、いずれも、徳川四代将軍家綱によって寄進された石造の鳥居でしたが、三つとも関東大震災で倒壊してしまいます。

一の鳥居だけがもとの石造に復元されましたが、あとの二つは鉄筋コンクリート造に作り替えられて、朱塗りの鳥居となりました。


~倒壊した鳥居は・・・~


二の鳥居の柱は、鎌倉国宝館前の源実朝歌碑として使用されています。
(参考:http://okadosblog.blogspot.com/2011/01/blog-post_6893.html

三の鳥居の柱は、市道大船・西鎌倉線の鎌倉山交差点に建てられています。
(参考:http://okadosblog.blogspot.com/2010/12/blog-post_6817.html



源氏池の畔にある「さざれ石」の背後にも鳥居の残骸が置かれています。

これは、大きさからして、二の鳥居か三の鳥居の残骸かと思われます。

ここには、白旗神社の石鳥居の残骸も置かれています。



七夕祭の飾り付けがされた鳥居。
(左二の鳥居、右三の鳥居)


段葛
https://www.yoritomo-japan.com/dankazura.htm
若宮大路
https://www.yoritomo-japan.com/wakamiya-oji.htm
若宮大路の散策
http://okadosblog.blogspot.com/2010/11/blog-post_1895.html
鶴岡八幡宮の一の鳥居
http://okadosblog.blogspot.com/2011/01/blog-post_5398.html
鶴岡八幡宮
https://www.yoritomo-japan.com/page041hatiman.htm
鎌倉手帳

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