別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2017年7月26日水曜日

智証大師の伝説が残された石橋~園城寺(三井寺)~

村雲橋


むかし、智証大師がこの橋を渡ろうとしたときのこと。

西の空を見て入唐したときに修行した長安の青竜寺が焼けていること察知した大師。

真言を唱えて橋上から閼伽水をまくと、橋の下から一条の雲が湧き起り、 西に向けて飛び去っていったのだとか。

数日後、青竜寺から火災を鎮めてくれたことへの礼状が届いたのだといいます。

以来、この橋は「ムラカリタツクモの橋」「村雲橋」と呼ばれるようになったのだと伝えられています。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

園城寺は源氏と深い関係にあった寺院。

1051年(永承6年)、前九年の役に出陣する源頼義が戦勝を祈願。

頼義の三男・義光新羅善神堂で元服しました。

1159年(平治元年)の平治の乱で敗れた源義朝の子・義円(源頼朝の弟)は園城寺で出家。

鎌倉に武家政権を築いた源頼朝は園城寺を保護。

1182年(寿永元年)には、円暁を鶴岡八幡宮の別当に任命しています。

頼朝亡き後の1214年(建保元年)、延暦寺に焼かれた園城寺の再建に尽力したのは北条政子だったそうです。

2代将軍源頼家の子・公暁が修行したのも園城寺でした。



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