別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2014年6月5日木曜日

源義経の伝説・・・京都:鞍馬寺

源義経は1159年(平治元年)、河内源氏の棟梁・源義朝の九男として誕生しました。

母は常盤御前。幼名は牛若。

生まれた年に起こった平治の乱で父義朝が敗れたことにより、11歳のときに鞍馬寺に預けられました。

稚児名は遮那王。


川上地蔵堂

牛若丸の守り本尊といわれる地蔵尊が祀られています。



牛若丸が住んでいたという東光坊の跡に建てられた供養塔。

牛若丸は、ここから毎夜、修行のため奥の院まで通っていたそうです。



奥の院へ向かう途中の牛若丸が、喉の渇きを潤したという泉。



奥州平泉へ下ることとなった牛若丸が、名残を惜しんで背を比べた石といわれています。




僧正が谷は、牛若丸と鞍馬天狗が出会った場所といいます。



牛若丸が鞍馬寺を出たのは1174年(承安4年)のこと。自ら元服し義経と名乗り、奥州平泉の藤原秀衡のもとへ向かいました。

1180年(治承4年)に異母兄の源頼朝が挙兵すると、奥州を後にして、頼朝のもとに馳せ参じます。

その後、源平合戦で活躍しますが、平家を滅亡させた後、頼朝と対立し、再び奥州平泉の秀衡を頼りました。

しかし、秀衡死後の1189年(文治5年)閏4月30日、秀衡の子泰衡に急襲され、衣川館で自刃しました(享年31)。



奥州平泉衣川館で最期を遂げた源義経の魂は、鞍馬に帰ってきたと信じられています。

そして、遮那王尊として祀られています。


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