別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2014年4月18日金曜日

YORITOMO JAPAN・・・源頼朝ゆかりの史跡

「よりともジャパン歴史めぐり」パンフレット
(観光案内所に置かれています。)


この中からいくつかをご紹介!


~伊豆に流された源頼朝~

蛭ヶ小島(伊豆の国市)

平治の乱で敗れた源頼朝が流された地。

頼朝は伊豆国で父義朝の菩提を弔いながら約20年間を過ごします。

参考:源義朝の墓(野間大坊)


音無神社(伊東市)

伊豆に流されていた頼朝は、一時、伊東で暮らしていたともいわれています。
その時に出会ったのが伊東祐親の娘八重姫でした。

音無神社のある「おとなしの森」は、頼朝と八重姫が密会した場所だったといいます。

頼朝は八重姫との間に千鶴丸を授かりますが、それを知って激怒した伊東祐親に殺されてしまいました。

頼朝と八重姫の仲も引き裂かれ、頼朝は北条館に逃げたのだといいます。


八重姫御堂(真珠院・伊豆の国市)

頼朝のことを忘れることが出来ない八重姫は、伊東館を出て北条館を訪れますが、すでに頼朝は北条時政の娘政子と恋仲となっていました。

悲しんだ八重姫は川に身を投げたと伝えられています。

伊豆の国市の真珠院には、八重姫を祀る御堂が建てられています。


~源氏再興の挙兵~

毘沙門堂(伊豆の国市)

頼朝に挙兵を勧めたという文覚が草庵を結んだ場所。

毘沙門堂は、のちに願いの叶った頼朝が文覚に命じて建てさせたと伝えられています。


三島大社(三島市)

三嶋大社は、頼朝が源氏再興の祈願をした神社。

1180年(治承4年)、頼朝は三嶋大社の例祭の日を旗挙げ日と定め、挙兵しました。


高源寺(函南町)

頼朝文覚が源氏再興の密談をしたという寺。


守山八幡宮(伊豆の国市)

頼朝が源氏再興を祈願したという神社。

守山八幡宮のある守山には北条館がありました。


佐奈田霊社(石橋山古戦場・小田原市)

1180年(治承4年)8月17日、源氏再興の挙兵をし、伊豆国の目代山木兼隆を討った頼朝は、相模国へ進軍します。

そして、石橋山に布陣しますが、大庭景親伊東祐親に敗れ山中に逃れました。

この戦いで岡崎義実の嫡男佐奈田与一義忠が討ち死にしました。


しとどの窟(湯河原町)

しとどの窟は、石橋山で敗れた頼朝が隠れ潜んだ場所と伝えられています。


箱根神社(箱根町)

石橋山で敗れ山中に逃れた頼朝箱根権現(箱根神社)の行実を頼った後、土肥実平の案内で土肥郷へ逃れ、真鶴から安房へと船出します。


七騎堂(城願寺・湯河原町)

城願寺は、土肥実平の菩提所。

七騎堂には、頼朝の船出に従った七騎の像が安置されています。


岩海岸(真鶴町)

頼朝が船出をしたという浜。


竜島海岸(鋸南町)

頼朝が上陸したという浜。


伊豆山神社(熱海市)

頼朝が挙兵した後、妻の北条政子は伊豆山権現(伊豆山神社)に身を潜めていました。頼朝が安房に渡った後は、伊豆山権現の文陽房覚淵の計らいで秋戸郷に移っています。


~鎌倉入り~

鶴岡八幡宮(鎌倉市)

石橋山で敗れた後、安房に渡って態勢を整えた頼朝は、1180年(治承4年)10月6日、鎌倉に入りました。

頼朝がまず行ったことは、先祖源頼義が創建した由比郷の由比若宮を小林郷へ遷宮することでした。

これが現在の鶴岡八幡宮です。

以後、鎌倉の街は鶴岡八幡宮を中心に発展していきます。



~富士裾野の巻狩り~

富士山本宮浅間大社(富士宮市)

1193年(建久4年)、頼朝富士裾野の巻狩りを催しました。

富士山本宮浅間大社に伝わる流鏑馬は、富士裾野の巻狩りの際に頼朝が催したことにはじまると伝えられています。

富士裾野の巻狩りでは、有名な曽我兄弟の仇討ちが起きています。




~東大寺大仏殿落慶供養~

東大寺(奈良市)

1195年(建久6年)、上洛した頼朝は東大寺大仏殿落慶供養に参列しました。

参考:南都焼討と東大寺の再興~重源と源頼朝~



源氏ボタルよりともくんTシャツのプリント

源氏ボタルよりともくんは、伊豆の国市頼朝挙兵830年祭のキャラクター。

源頼朝観光推進協議会の共通キャラクターにもなっています。


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