一般民衆に仏教の布教が禁じられていた時代に民衆に仏教の教えを説き、築港・堤防・貯水池などの設置といった社会福祉事業も行っていました。
行基は、日本各地を伝道しながら、その先々で寺院を建立しています。
そのため、大きな力を持った行基は、朝廷から弾圧されていたといいます。
~鎌倉周辺にも行基ゆかりの寺社があります。~
鎌倉最古の杉本寺 | 鎌倉最古の甘縄神明神社 |
満福寺・・・行基が草庵を結んだのが始まり。 長谷寺・・・十一面観音像は行基によって海に流された。 白山神社・・・源頼朝が安置した毘沙門天は行基作といわれる。 円光寺・・・行基作の秘仏:薬師如来像。 辻の薬師堂・・・行基作の薬師如来像。 補陀洛寺・・・行基作の薬師如来像。 虚空蔵堂・・・行基作の秘仏:虚空蔵菩薩像。 延命寺(逗子)・・・行基作の地蔵菩薩。 法勝寺(逗子)・・・大蛇伝説と十一面観音像。 神武寺(逗子)・・・行基作の仏像を祀ったことがはじまり。 岩殿寺(逗子)・・・行基作の十一面観音 飯山観音(厚木)・・・行基作の秘仏:十一面観音。 星谷寺(座間)・・・行基作の聖観音。 弘明寺(横浜)・・・行基作の十一面観音。 高久神社(大磯)・・・前身の高麗寺は行基の創建。 王福寺(大磯)・・・行基創建。 |
743年(天平15年)、聖武天皇は、「仏をあがめるものが団結し、一枝の草、一把の土をもちより、心をひとつにして大仏をつくってほしい。」という大仏造立の詔を発します。
しかし、当時の民衆は疲弊しきっていました。
大仏を造るには、民衆の力を引き出してくれる人物が必要でした。
そこで聖武天皇は、民衆に圧倒的な影響力を持っていた行基に協力を求めたのです。
そして、近江国の信楽京で大仏造りが開始されます。
752年(天平勝宝4年)、鋳造が終わった大仏の開眼供養が行われ、行基は導師を務めたといいます。
行基は、その功績により東大寺の四聖に数えられています。
鎌倉手帳 |