別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2010年11月28日日曜日

大船の古道(常楽寺~熊野神社・多聞院~切通~六国見山)

大船は、粟船と呼ばれていた所で、建長寺の根本といわれる臨済宗建長寺派の粟船山常楽寺があります。

そして、県道横浜鎌倉線を越えると、玉縄北条氏の家臣甘糟長俊によって勧請されたたいう熊野神社と、山ノ内瓜ヶ谷にあった観蓮寺を前身とする多聞院があります。

さらに、円覚寺の裏山六国見山を散策コースに入れる必要がありそうです。


常楽寺

常楽寺は、三代執権北条泰時が建てた粟船御堂を前身としています。

本堂の裏に泰時の墓があります。

裏山には、源頼朝の娘大姫の悲恋の相手、木曽義高の墓(木曽塚)があります。



開山の蘭渓道隆は、建長寺を開く前にこの寺に入っていたことから、常楽寺は「建長寺の根本」と呼ばれています。

イチョウの古木は道隆のお手植えとされ、秘仏の文殊菩薩には道隆の伝説が残されています(参考:文殊祭)。





県道を越えてこのT字を左に行くと熊野神社多聞院です。

庚申塔
多聞院の門前の庚申塔です。

熊野神社

庚申塔の前の鳥居を抜けて石段を上がると、甘糟長俊が勧請したという熊野神社です。

勧請した木造の神像が現存しているそうです。





多聞院

山ノ内瓜ヶ谷にあった観蓮寺を前身としています。

甘糟長俊が、この地に移したそうです。そして、隣接する熊野神社の別当寺となりました。





甘糟家

近くには甘糟長俊を先祖とする甘糟家が現存しています。

甘糟家は、玉縄北条氏に仕えた一族です。



~六国見山への道~

大船側からの六国見山への主な道を三つ紹介いたします。


この隧道は熊野神社の下を通っています。

ここを抜けると白山神社称名寺がある今泉方面です。

この隧道の上を通る切通があります。

一般的なのかどうか知りませんが、「大船の切通」と呼ばれているようです。

インターネット上の紹介ページでは、この道を「高野の切通」としているものもありますが、実際はどういうことになっているのでしょうか・・・?





こちらは、甘糟家の東側の大船高校との境界を上がる道。
「大船の切通」と合流します。


そして、これが一般的に「高野の切通」として紹介されている古道。



昔は、「山ノ内と六浦とを結ぶ尾根道だった」と鎌倉市のホームページは紹介しています。



~六国見山登山~

高野台の登山口
長窪(南口広場)からの登山口もあります。


10分から15分くらい山登りをすると山頂です。

六国見山とは・・・、安房・上総・下総・武蔵・相模・伊豆の六つの国を一望できたことから付けられた名です。



山頂の展望台正面の道を下りれば、もう一つの登山口の南口広場です。

南口広場の登山口


南口広場からは、大船の観音さまを見ながら、JR横須賀線の権兵衛踏切まで下りていけば、北鎌倉駅がすぐそこです。





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